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第2話 婚約者からの侮蔑

Author: 甘梨鈴
last update Last Updated: 2025-06-02 18:13:38

 王族の婚約者に選ばれた者は、西殿の中にある「琥珀の館」へ移り住むのが慣例だ。だが、エマが案内された先は、その館の離れにある小さな部屋だった。

 元々は使用人が住んでいた部屋を、レオナールがエマにあてがったのだ。

 さらにレオナールは、エマの持ってきたわずかな荷物から、オメガに必要な抑制剤も、発情時の熱を静める鎮静剤もすべて奪い取り、離れで暮らすように命じた。

『貴様には、この使用人部屋で十分だろ?』

 侮蔑のこもった目で見下し、エマを蔑んだ。

 本来ならエマは、レオナールの婚約者として「琥珀の館」で閨を共にし、子を生むのが役目。

 だがレオナールは、エマの発情期が始まると離れへやってきて、見物を始めたのだ。

 ベッドで苦しむエマを見下ろし、酒の余興を楽しむように、ゆったりと寛いでいる。

 レオナールの為に用意された、豪奢な椅子と大理石のテーブルだけが、古い部屋の中で輝きを放ち、異質な空間を生み出していた。

「んぅッ……はぁ、はぁっ……ァァッ」

 エマはシーツで下半身を隠し、熱い息を吐きながら、レオナールを見上げる。

(苦しいッ……助けて……!)

 薬さえあれば、まだ耐えられる。

 レオナールに助けを求めようとしたが、醜悪な笑みを見てしまうと、声が出なかった。

「オメガというのは、浅ましいな」

 レオナールは笑いながら、金細工の杯を揺らす。

 ソファーに体を預け、足を組んで尊大な態度をとりながら、エマの痴態を冷たく見下ろした。

「このように卑しい平民の男が『聖樹(せいじゅ)』などと、ずいぶん馬鹿げた話だ」

 不快そうに呟く王子に、側にいた従者が同意する。従者は蛇のような目でエマを冷たく睨み、吐き捨てるように答えた。

「仰るとおりです、レオナール様。『聖樹』とは本来、高貴な生まれのオメガが担うもの。平民ごときを『聖樹』に仕立てるなど、王族への冒涜です」

「まったくだ。見ろ、この卑しい有様を。人目もはばからず、自慰に耽ってるのだぞ?」

「ええ。汚らわしいオメガです」

 レオナールの嘲笑に、側に控えた従者も侮蔑の目を向けてくる。

 発情に苦しむエマを助けるどころか、あざ笑って、貶める。

 婚約者とは思えぬ仕打ちに、エマは震えながら奥歯を噛みしめた。

 なぜ、こんな目に遭うのか分からない。

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